2010年3月23日立教セカンドステージ大学専攻科を無事卒業しました。
「ママは“恥”の概念がヨーロッパ的だね」
長男誠が高校生の時、そう言った。
意味を聞くこともなく時折私の中でその一言を思い出すことがあったが、多分誠の言う意味は、人の『恥』と思う対象は「他者」か「己」のどちらかであり日本人の恥の対象が己ではなく他者が多い中、私は・・・そう思っている。
明治時代の“ハイカラさん”スタイル、真っ赤な矢がすり模様の着物に袴姿で卒業式に出席した私は、誠の一言はこういう姿をする“私”を言うのだろう・・60歳の“ハイカラさん”姿で、他人の視線など物ともせず山手線に乗り高田馬場駅(着付けをしてもらった美容院が西早稲田)から池袋駅までを地下街を闊歩しながら、そんな誠の一言を思い出していた。
さて2月に再開しますので是非また読んで下さいと言いながら3月も過ぎ4月も過ぎ5月になってしまいました。もう「ザ・ヒロ子」の事など忘れてしまったかも知れませんが、また「私」を書き始めたいと思います。
どうかよろしくお願いいたします。
2010年5月10日 あん子
第33章
「もう一人の兄の死」⑴
5月1日、私にとってメーデーの日ではなく平成13年9月25日、自分の命をお金に代えて死んでいった睦夫兄さんの誕生日だ。
生きていたら65歳・・あの突然の死から9年が過ぎる。
平成13年9月25日秋分の日と土日がつながり3連休の翌日の月曜日だった。連休明けの仕事の始まりの日、午前6時40分、電話のベルがなった。
誰だろう?こんなに早く・・何かあったのだろうか!!
受話器を取る。ほとんど電話などかけてはこない私の家のすぐ前に住む同級生のM君だ。なんだかいつもより静かな声。彼は私と同じE町の消防署に勤務しその朝は前日からの勤務で泊まりの日だったそうだ。
受話器の向こうでM君が言う。
「むっちゃん(兄はみんなからこう呼ばれていた)が死んだ。自殺だ。今警察が来ていろいろ調べている。」
「えっ?むっちゃんが死んだ?自殺をした?死んじゃった?死んでないでしょ?生きているよね?」
「・・・・いや・・もうだめだ・・」
身体中が震えだし、しばらく会っていないむっちゃんの顔が浮かんできた。
「とにかくむっちゃんの会社に今すぐ行くといい。すぐにだ・・」
私は訳がわからないまま、札幌に住む姉と兄に知らせ、むっちゃんの会社へ車で走った。
信じられない!なぜむっちゃんが自殺なのだ。それももう死んでしまっていると言う。とにかく行かなければ・・見るまでは・・。
むっちゃんの会社が見えてきた。午前7時前だというのに会社の広い駐車場には車が何台も雑然と置かれ、玄関前にはパトカーが2台止まっていた。
パトカーと会社の周りの騒然とした様子が、M君からの知らせが本当の事だったことを現していた。
むっちゃんは社長室のソファの上で、まるでうたた寝でもしているかのように座って死んでいたそうだ。第一発見者、早番の従業員Hさんがそう言っていた。
車の排気ガスを吸い意識が朦朧とし始めてから死ぬまで書いていたのか、いつものむっちゃんらしい大きな堂々とした字ではなく何を書いたのか読めないほどの乱れた字の遺書が、お世話になった方達への謝罪の遺書、東京の大学に通う当時19歳の最愛の一人娘へ会いたい、会いたい、会いたいと何度も何枚も書いた遺書、姉と私宛に書かれた遺書などがテーブルの上に散乱していたと言う。きちんとそろえ置かれた飲み干しの缶ビール2缶の横に。
死にたくはなかったのだ・・。
むっちゃんは死にたくはなかったはずだ・・。
むっちゃんの遺書は“生”に区切りをつけた覚悟ある遺書ではなく、書く事によって“生”にすがり、自らを殺そうとしている自分の意思や、死ぬ怖さに負けそうな自分を納得させ、“死に恥”かいても“生き恥”はかきたくなかったのだろうむっちゃんの生き方は、どうしても死ななければならず、死ぬ意外家族や会社を守ることは出来ず(自分にかけた多額の保険金で会社を救おうとした)そういう“意味”があっての“理由”があっての自殺だから許せと懸命に自らに言い聞かせているような遺書・・なぜだか私にはそんなむっちゃんの隠れて見えない思いがそれらの遺書に見える気がした。
死にたくはなかったはずだ・・。
すぐさま発見者Hさんが救急車を呼び、同級生のM君がたまたま職務で救急車に乗りむっちゃんの会社へ。
自殺の場合は警察の現場検証が必要とかで、むっちゃんがいる社長室は立ち入り禁止、身内でも入れてはもらえなかった。
むっちゃんは自分の会社の狭い小さな社長室の隙間という隙間にガムテープで空気が漏れないよう目張りをし、会社の外に駐車した自分の車の排気ガスを長いホースをつけて・・。
部屋に目張りをしている時だろうか、何かに引っ掛けたような血が滲んだ新しい傷のあとがむっちゃんの左小指にあったのを憶えている。
どんな思いで部屋中の隙間を目張りしたのだろう。
どんな思いでホースを部屋の中まで繋げたのだろう。
シュウシュウと音がしたであろう車の排気ガスが部屋中に充満してくる中、ソファーに座り一人真夜中に遺書を書いていたのか・・。
寂しく心細い真夜中・・。
夜明け前の真夜中は、この世の全ての“音”も“光”も消えてしまったように暗くて寂しいものだ。
そんな真夜中に一人遺書を書き・・心に浮かぶ一人一人に別れを告げていたのか。
気を失うまで・・死にたくはない心を押し込めながら・・。
『ねえちゃん、宏子
俺は、先に行くけど
親父や母さんの所へ行く。
E(町名)では、はずかしいけど仕方がないんだ
ねえちゃん、兄貴(姉ちゃんの御主人)によろしくな、感謝している。
俺達だめだったな 今迄、考えると 』
大きかったり小さかったり曲がっていたり、乱れた字がここで止まっていた。
ふとペンを置き自分が生まれてからの56年間を顧みたのか、それとも母が生きていた頃の私達兄弟みんなが仲良しだった頃のそれぞれを思い出したのだろうか・・命を捨てて救おうとした『(株)NA(エヌエー)フーズ』と印刷された会社の罫紙に、泣いているような字が、弱々しくかすれた字がぐにゃぐにゃと並び姉と私への遺書はここで終わっていた。
(むっちゃんは昔から私の「ヒロ子」をなぜか父が名付けようとした「宏子」 と書く)
午前10時を過ぎていた。自殺をしたむっちゃんは、私達身内に会わせてくれる事もなく今度は病院で検死を受けるためとE町から車で1時間あまりかかる北見市の日赤病院へ警察の車で連れて行かれた。
自殺をした部屋から警察の車に運ばれるタンカーの上のむっちゃんは、薄汚れたオレンジ色の冷たく固そうな毛布に、人間ではない何かの“物”のように顔から足の先までをひとくくりに覆われ、頭の毛すら見る事は出来なかった。
気がつくと会社の中はたくさんの従業員や警察官や刑事みたいな人や大勢の人が右往左往し、ごった返ししていた。
私は見知らぬ人々がめちゃくちゃに動き廻る様子を無声映画を見ているかのように事務室の片隅でボーッと見るともなく眺めていた。
北見の病院での検死は時間がかかり検死を終えて帰って来るむっちゃんを寝かせる蒲団の用意やいろいろな準備をしなくてはならないと言われ、私は一粒の涙も流さずただ訳がわからないまま、さっきタンカーに載せられていった毛布の“かたまり”は本当にむっちゃんなのだろうか・・そんな思いばかりが頭の中をグルグル回っていた。
蒲団を取りに私の自宅へ戻り、お客様用の新品の可愛いチューリップ模様の肌掛けや、シルクでとても暖かそうなやわらかくきれいなオフホワイト色の毛布など、帰って来たむっちゃんが気持よく暖かく寝られそうな新しい蒲団一式を車に積み、自宅から10分程のむっちゃんの家に向かった。
次から次へと突然のむっちゃんの訃報にたくさんの人々が訪ねて来た。
奥さんの弘子さんは(字は違うが義姉も「梓木弘子」と言い同姓同名だった)あちこちからの電話、銀行などの支払いの用事等で呼び出され席を立つことが多く、実の妹と言う理由で葬儀の手伝いの方の聞いてくる事に、人が亡くなった時すべき事なのだろう些細な事や様々な質問に私が答えなければならなかった。
お葬式はセレモニー、お葬式は町内会の日常の「行事」であることを改めて知る思いがした。手際よく事が流れている。
私達死んだ者の身内はセレモニーの中の“一役者”でありセレモニーをしていただく立場でもあった。
誰のための誰に向けてのセレモニ〜なのだろう・・。
一人そっと、いやそれが駄目ならせめて矢継ぎ早に無理矢理常識の世界に引き込まないで・・何かを聞かれる度に私はそう感じた。
仕方はないが黒のエプロンをした手伝いの人達は誰がどう死んでもまずは生きている人達のご飯の用意をし、そのような手伝いの方がいるからこそお葬式をしてもらう事も出来るのだろうが、むっちゃんの帰りを心待ちするその時の私には、そういう人の世のあたりまえのしきたりが哀しくてせつなくてならなかった。
けれど・・表だけは気丈にしていた。
姉や兄達は車で札幌からむっちゃんの家に向かっている途中であり、むっちゃんの血を分けた肉親は私一人だったからだ。
むっちゃんを守らなくては。
むっちゃんがむっちゃんの家に帰ってきたのは夕方4時くらいだったろうか。
腹がたった。悲しかった。あまりにもむっちゃんがかわいそうだった。
いくら自殺したからとは言え、病院の検死に行く前は洋服も着ていただろうに、下着も何も脱がされたまま裸のまま、連れて行かれた時のあの薄汚れたオレンジ色の毛布にまるで“ゴミ”のように包まれ帰宅したのだ。
初めて涙がでた。
可哀想で悔しくて悲しくてどうにもならなくて涙が出た。
むっちゃん、恥ずかしかったね。こんな丸裸にされて・・
むっちゃん恥ずかしかったね。寒かったね。つらかったね。悔しくて可哀想で、男気の強いシャイなむっちゃんが丸裸・・ポトポトむっちゃんの顔に手に肩に涙が落ちていった。
初めて見た兄むっちゃんの身体はとてもきれいだった。足なども毛深くはなく兄として知っている外では誰よりも威勢のいいむっちゃんの身体は、外から見るより華奢でやわらかくどこか寂しそうな男の身体の線をしていた。
むっちゃんの身体にそっと触れた。
警察の人や検死をする人達に、人格も何もない“物”のように乱暴に触られてきただろうむっちゃんの身体についた見えない見知らぬ人達の手あとをこすり落としたかった。
消しゴムのようにゴシゴシ消してあげたかったかった。消したかった。
そんな思いを心に、そぉっとむっちゃんの身体を拭いた。
むっちゃんが遺書の中に指命した生前お世話になりお金の援助や銀行の保証人をしてくれていた古いつきあいの葬儀屋の“かっちゃん”が祭壇や白装束一式を持ってきた。
が白い着物を着せる間もなくお坊さんが枕経をあげに来てしまい、硬直したむっちゃんの両手を胸の上にひとつに合わせるのが精一杯で、とりあえず身体に白い着物をかけその上に蒲団をかけてお経が始まった。
(硬直してしまったむっちゃんの身体に着物を着せることが出来ず結局最後までそのままになってしまった。むっちゃんが寒がっているのではないだろうかと今でも時折思い出す)
むっちゃんの顔は、死んで何時間も経っているのに、ほんのりピンク色で本当にいつもより活き活きとしていて気持よく眠っているようだった。
死んだら人は蝋人形のように青白く冷たい肌になるはずなのに、むっちゃんの顔色はすこぶる良くどんなに時間が過ぎても変わらなかった。(ガス自殺の特徴なのだそうだ)
私はかわいいチューリップ模様の掛け布団の中で恥ずかしそうに“寝ている”むっちゃんに、いつもかけていた黒ぶちメガネをつけてみた。
いつものむっちゃんになった。
「人生 ノーサイド」(人生に敵味方なし)が口ぐせ、得意な歌は「マイウェイ」、いくつになっても夢を語り熱き心を持つ56歳には見えぬ“青年“のような真っ黒な毛がピンと立ったスポーツ刈りのラガーマン、むっちゃんがいた。
目だけを閉じ、「よオ!元気か」なんて言い出しそうなむっちゃんがいた。
そのむっちゃんの横で、何も言わずに死んでいった“眠る”むっちゃんに私は聞いた・・考えた・・。
なぜむっちゃんは“死”を選んだのだろう。
なぜむっちゃんは自殺をしなければならなかったのだろう。
むっちゃんの言う“はずかしい”とは、むっちゃんが思う「恥」とは何を言うのだろう。
「仕方がないんだ」 むっちゃんは言う。
本当に「仕方」のない事だったのだろうか。
「俺達だめだったよな・・・」
「俺」ではなく「俺達」と言っているむっちゃんの思いは、私達兄弟の何が駄目だと言いたかったのだろうか。
そのあとに書こうとした事は何だったのだろう。
アメリカの文化人類学者、ベネディクトが書いた「菊と刀」の“日本人”みたいなむっちゃんは、まるで昔の“特攻隊”のように “御国”(家族・会社)のためと無理矢理死んでいった。
武家社会の“侍”の切腹みたいに思い切り死んでいった。
むっちゃんの死は、何を意味するのだろう?
むっちゃんは何に“負けて”死んだのだろう?
むっちゃんは何から“逃げよう”として死を選んだのだろう?
会社の倒産は“死”と同列?“死”に至ること?
幼い頃“なぜなぜ人間”とむっちゃんにからかわれた私が、答えてくれるはずもない死んだむっちゃんにわからないわからないと問い続けた・・・。
そして5日後、むっちゃんの死を“嘘”や“表面”ではなく本当に悲しいと別れを惜しんでくれた千人をも超える参列者に見送られむっちゃんは逝った。
センセーショナルな報道をも巻き込む、悲しい“盛大な”お葬式だった。